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切抜帳  

 

目次  テーマをクリックしてください

 

 

 

 

米国人のうそ

権力者の言葉

寄り添う

きちんと疑い

テロリストを養成

血液型

ジョーク

からくり

敵は人間

ぼくの神様

with

和服の牧師

善と悪

マザーテレサ

和解

 

障害者と共に50年

杉原千畝

宮沢賢治

出会った子どもたち

 

 

国人のうそ/日本人の秘密

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 アメリカではどうして、ここまで々とウソがまかりるのか。

簡単えば、えない価値」をるためなら「える矛盾」にをつむろう、という価値観背景にあるのではないか。

自分ったパーティーについて、そのパーティー招待されなかった友人から「べのパーティーはどうだった?」とかれたとする。

そこで「しかった」とにすることはまずない。

 

「つまらなかった」というさなウソをぶか、は、かなかった」と大胆なウソにるか、

ては友人との関係をコントロールするためであって「のみ真実」など関係ないのである。

寝不足様子からパーティーが深夜までがったことは明白であっても、おいなしである。

とにかく「招待されなかった人間つけない」ことがあらゆる真実よりも優先するのだ。

 

 あるいは、社会的められた「カタギ」の世界では性善説をタテマエにしておく、ということもあるだろう。

じ、そののプライドをめる、それが人間関係基本というから多少のウソにはをつぶる、

つまりとりあえずはうのはよう、ということだ。裏返せば、ウソに寛容文化っていのだろう。

 

 公平すのなら、

アメリカがウソつき文化なら、日本秘密主義のダンマリ文化であって、どっちもどっちというもできるのだろう。

(冷泉彰彦:米国ニュージャージー州在住の作家)

 

 

権力者の言葉

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ナチス政権下では、総統ヒットラーの言葉は、直接的で完全な法源であった。

同様に、北朝鮮の金正日総書記の言葉は、そのまま法として妥当する。

ここでは、法の適用の前提となる事実と法(規範)の間の古典的な区別は成り立たない。

事実が恣意的に作り上げられてしまうからだ。野蛮な全体主義的独裁だ。

 だがもし、我々の世界が現在、進んで(しかも無意識のうちに)こうした体制に近づきつつあるとすれば?

しかも北朝鮮の脅威に対する危機意識などを媒介にして。

有事や危機とは、通常の法の適用を制限して、為政者、警察、官吏の恣意的な決定が、そのまま事実=法として機能しうる。

例えばブッシュドクトリンは、差し迫った脅威を認識するだけで「自衛権」を行使できると主張する。

北朝鮮に拉致された人達は「生きるに値するかしないか」という恣意的な事実判断が、法として妥当しているのではないか。

ナチスの場合は、この恣意的な分類に「人種」という名前を与えた。

我々はナチスや北朝鮮に、おぞましい過去の遺物を見る。だが、その遺物の脅威を強調すればするほど、

我々自身が、そのおぞましい姿えと変容していることを自覚すべきである。

(京大助教授 大沢 真幸 京都新聞から)

 

 

寄り添う

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英国で始まったチャイルドラインは、相談の内容を限定しないのが特徴。

電話の受けては、悩みを解消するためのアドバイスを極力さける。

気持ちをうまく言葉にできない子どももいる。

話を聞くだけでなく、その奥にある気持ちに寄り添うことだ。

 (チャイルドライン京都の研修会から)

 

 

きちんと疑い、しっかり信じる

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ものの見方が一つしかないのは心もとないことです。

私たちは気付かないうちに「狭い思い込みの世界」の中で暮らしています。

そこは快も不快も決ったパターンが繰り返される、ぬるま湯的な気持ち良さのあるところです。

ですが、そこで自分の体と心を動かすことを忘れてしまうと、時に悪意すらある他者の発する「情報」から

適切に、そして主体的に身を守ることができなくなってしまいます。

それだけではなく、自分自身が知らず知らずのうちに他者を害する「情報」の発信源になってしまうことも

あるかもしれません。

 「複数の物の見方」を持つことは、自分自身のうちに葛藤のもとを作ることになりますが、

自分を成約している見えない枠に気付いて、より広くものが見られるようになった時の

「はっ!」とする喜びは、言葉にできないものがあります。

 日本人は、相手の言うことをそのまま信じることが美徳と思われているところがありますが、

本当は「きちんと疑うこと」を通して「何をどこまで信じて良いか」が分かってくるはずです。

 ものの「疑い方」を学ぶことは、その「信じ方」を学ぶことでもあるのです。

(京都大学院医学研究科医療システム情報学分野中山健夫)

 

 

テロリストを養成してしまっている

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常識的に考えると、テロリストに子供を殺された両親のコメントは、

テロリストに対する憎しみの発露となりがちだ。

ところがスマダルの両親は、当時の自国のリクード政権に対して

「パレスチナ人と和平を結ばず、逆に弾圧を強めて屈辱を味あわせることによって、

わが国の政府は、パレスチナ人のテロリストを養成してしまっている。

テロは、イスラエル政府の政策によって生み出されたものだ」と主張した。(田中宇の国際ニュース解説)

 

 

 

上司との付き合い方(さぶ老はB型

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A型上司は常識と習慣の人。この下ではのびのびとしていられない。礼儀をわきまえること。

B型上司もあなたも気を使わない。故に反発しあうこともある。あなたから歩み寄れば話が合う。

O型上司はあなたの才能を高く買っている。故に大きく成長できる。常にあなたの個性をアピールしておくこと。

AB型上司はあなたの型破りな発想をよく理解してくれる。組織では保守的だから独走しないように。(就職情報誌)

 

 

 

ウソ&ジョーク

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日本が西洋文化を取り入れた時、日本の伝統から離れて、

「ウソは絶対に悪である」という思想は輸入したが、ジョークの技術をまったく輸入しなかった。

それに加えるに武家道徳である。

日本人は「孔子様とキリスト様に睨まれている」わけだ。(河合隼雄)

 

 

 

メディア規制のからくり

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情報操作

『保護』『人権擁護』、『有事』という聞こえの良い言葉で、

時代のキーワードを使っているが、中身のすり替えだ。

本質は平時と戦時のメディア規制、生活の制限であって、

これをカムフラージュ(本質を隠す)するような言葉を使っている。

 

支配の強化

 たとえば『満州事変』は侵略戦争への道を開いた。事変でなく戦争だった。

事変という言葉が定着してふんわりとしたイメージを杉成していく。

戦時中には『退却』を『転戦』と言い換えるなど、国は民衆を支配する面があった。

政府、官僚が作るこうした言葉が毎日操り返されると、

人間の意識を変える力(マインドコントロール)になる。

 

浄化が困難

『情報の適正な取得』に触れるのではないかとの懸念は内部告発をしにくくする。

取材が成立しなくなるので、公害、企業犯罪は暴けなくなる。 (鎌田 慧さん)

 

 

 

敵は人間

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 かつて商業伐採に従事し、東南アジアなどの熱帯雨林を切り倒すのを仕事にしていました。

豊富な資金力を使い、熱帯雨林から商業価値の高い木材を切り出し、日本に送るのです。

継続性に配慮しないで伐採していたのですから、まさに山を荒らす仕事でした。

密林の奥に進み、初日のキヤンプを設営したその夜、同行した現地の案内人が

「誰かが自分を殺しに来る」と騒ぎ出し、夜が明けるとさっさと帰ってしまいました。

やむなく、手探りの状態で仕事を続けましたが、その時の困惑は忘れられません。

 

絶滅の危機に直面するオランウータンの敵は人間と森の消滅です。

仕事だったとはいえ、自然破壊に悔い、森をオランウータンに返そうと

チークの苗を現地に贈る運動を始めた。 (宮崎林司さん)

 

 

 

見そこなった映画「ぼくの神様」

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ポーランドの少年トロは、少年ロメックがイエスさんと同じユダヤ人であることを知った。

 

原題は「主の栄光の及ぶ世界の縁(Edges of The Lord)」。

子供が大人になる「最初の聖体拝領」の儀式に使われる聖餐パンの

はじっこの部分が、それを象徴する。

農民の家庭に秘密裡にあずけられたユダヤ人の少年ロメックは、

必死に勉強をしてカソリック教徒になることによって、

主の栄光のおこぼれにあずかり、生き残ろうとした。

聖餐パンのはじっこの切れ端(ここはふつう儀式では使われない)は、

当時の庶民の観念では「ユダヤ人の部分」をもあらわしていた。

すべての事情を理解していた神父は、儀式のなかで

誰にも気づかれないようにこの部分を少年に与えることで、

ユダヤ人としてのアイデンティティと誇りを保ったまま、

少年を生命の安全圏に救い出そうとしたのである。

強制収容所へ向かう列車に、ロメックの制止をふりきり

乗りこもうとするポーランド人の少年トロ

崩壊していこうとする世界を、わが身をサクリファイズすることによって

救い出そうとするキリスト教精神のよみがえりが、私たちを圧倒する。

他者を認めないかたくなな正義同士が激突している今日の世界に、

この映画の問い掛けているものは大きい。

 

 

 

with-ambitious

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佐野由美さんの生き方

彼女は1975年に神戸市長田区で生れる。

大阪芸大在学の時に震災に遭うが生き残った。

卒業後NGOで1年間ネパールに滞在し福祉小学校での教師の傍ら、精力的に創作した。

しかし、帰らない人となった。言葉も知らない、資金も知人もない、頼れるのは自分の美術の才能だけ。

震災でガレキの中で命拾いをし、多くの人々に支えられた経験が彼女を変えた。

「私は望んでここまで来た、私はここで探すものがある」。

美術家であることを「世の中での自分の使命にしたかった」

と志した彼女が貧困下で生きる人々と日々触れ合うことで社会の矛盾に悩み苦しみながらも成長していく。

そんなみずみずしい姿に、誰もが本当の「生きる意味」を見つけるだろう。

 

映画の監督をした榛葉健氏の談話

 彼女の美術は 世界の現実を自分の目で見て、

それを誰にも分かるキャンパスに投影するというものでした。

23歳の若さで見聞きする世の苦味を吸収し、人間の普遍的な心理を求めたのです。

劇映画のように「どこかの出来事」と眺められません。

 

公認サイト  http://www.with-ambitious.com/

 

 

 

和服の牧師 木月道人

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木曜日と月曜日に路傍に立ってキリストを伝えた人(難波宣太郎1865〜1945)。

 

和漢の教養に優れ、自ら詩を読み、水墨画をたしなむ和服を着た牧師。

日本人としての豊かな感性の中に、キリストの福音を受け止め、それを人々に伝えようと努めた。

伝道が進まなかったので、日本人の文化(心)をもってキリストを表現。

 

春色九分過ぐ 一枚遅きは何ぞや 世間富貴を称ぶ 花咲きって曰く阿々

 

誰か枯華に対し独り破顔せんや 霊山の大衆 石心頑なり

王の装も 花の装の尊きに及ばず この道 何れの時か世間に通ぜん

 

花にくれ 家路にむかう 心地かな

 

平生かくの如きは富か貧か 貧もまた憂えず

春は自ら春なり 春夏秋冬、花また雪 随時随所 天を楽しむの民

 

(キリスト教は西洋を回って 西洋の文化にドップリ漬かって日本に来た。

難波宣太郎は、日本の文化を掘って、キリストを植えた。竹中元雄 NHK心の時代から)

 

 

 

と悪と

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人間の中のきれいな部分ではなくて、人間の中の交響楽に対して反応を示すものでなければ、

つまりいいところには勿論、いやらしい部分にも反応を示すものでなければ、

本当の宗教ではないという気持ちが私にはあります。

人間のいい部分とか、きれいな部分しか認めないようなものは、本当は宗教ではないと思います。

(遠藤周作)

 

善は悪のつがい

地球をおおった大洪水のとき、あらゆる動物が、ノアの箱舟にやってきた。

善も急いで駆けつけた。

するとノアが善を乗せることを拒んだ。

「私はつがいしか乗せない」

そこで、善は自分のつがいとなるべき相手をさがした。

そして、悪を伴って船に戻ってきた。

それ以来、善のあるところには悪があるようになった。

(講談社文庫・ユダヤ5000年の知恵より)

 

 人が戦争に勝つことはなく、人は殺される。

政府はいくつもの顔を持ち、生まれ変わって再編する。

ある者にとっての無限の正義は、他の者にとっての無限の不正だ。

ある者の自由は、他の者にとっての従属を意味する。

                       アルンダティ・ロイ

 

 

 

 愛と祈りのことば

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マザー・テレサ PHP  渡辺和子訳

 

「私は福祉活動をしているのではありません。

私にとって大切なのは、群集としての人々ではなく、個々の魂なのです」

この言葉の底に流れているマザーの信念は、

「貧しい人の1人ひとりは、キリストその人である」と言うこと、

そして、そのような姿をとって私たちと共に居るキリストは、今日も

「わたしの最も小さな兄弟姉妹の1人にしてくれたことは、わたしにしてくれたことである」

と語りかけている、という信仰なのである。    

*

ニューヨークに私たちの最初の修道院を開いたとき、

枢機卿はシスターたちの生活費のことを大そう心配されて、

月々のお手当てを下さろうとなさいました。

私たちシスターは、神の摂理(今まで1度も狂ったことがない)に信頼して

生きていることを伝えねばなりませんでした。

*

平和も戦争も家庭から始まります。

もし本当に世界平和を願っているなら、まず自分の家族が相互に愛し合うことから始めてゆきましょう。

もし喜びを広げてゆきたいなら、まず、一つひとつの家族が喜びをもって生活することが必要なのです。

*

ここで言われている喜びとは、神との一致、神の御前に生きる喜びのことです。

大声で笑うこと、馬鹿騒ぎをすることは、真の幸せな状態とは異なります。

人は、笑いとか騒ぎで何かをごまかそうとすることがあるものです。

*

喜びは祈り、喜びは力、喜びは愛

喜びは、私たちが人々の心を捉える網。

 

 

自己からの解放

 

主よ、私は信じきっていました 私の心が愛にみなぎっていると。

でも、胸に手を当ててみて 本音に気づかされました。

私が愛していたのは他人ではなく 他人の中に自分を愛していた事実に。

 

主よ、私が自分自身から 解放されますように。

 

主よ、私は思いこんでいました 私は与えるべきことは 何でも与えていたと。

でも、胸に手を当ててみて 真実が分かったのです。

私のほうこそ与えられていたのだと。

 

主よ、私が自分自身から 解放されますように。

 

主よ、私は信じきっていました 自分が貧しい者であることを。

でも、胸に手を当ててみて 本音に気づかされました。

実は思いあがりとねたみとの心に 私がふくれあがっていたことを。

 

主よ、私が自分自身から 解放されますように。

 

主よ、お願いいたします。

私の中で天の国と この世の国々とが まぜこぜになってしまうとき

あなたの中にのみ 真の幸福と力添えとを 見いだしますように

 

 

貧しさとは誰か

 

貧しい者は 物質的及び精神的に窮乏している人である

 

貧しい者は 空腹であり乾いている人である

貧しい者は 着る物を必要としている人である

貧しい者は 家なく避難所なき人である

貧しい者は 病んでいる人である

貧しい者は 身体的に精神的に不利な人である

 

貧しい者は 老齢の人である

貧しい者は 投獄されている人である

貧しい者は 孤独な人である

貧しい者は 無知で疑い深い人である

貧しい者は 慰めのない人である

貧しい者は 助けのない人である

貧しい者は 迫害されている人である

貧しい者は 不正を耐えた人である

 

貧しい者は 無作法な人である

貧しい者は 機嫌が悪い人である

貧しい者は 罪人でありあざける人である

貧しい者は 私に悪事を成す人である

貧しい者は 望まない人、社会に見捨てられた人である

 

貧しい者は ともかくも私たち自身である

 

 

 

和解

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日露の和解

真に正しきことは、いずれの国においても

正しきものと認められる

机の上に地図と辞書らしき書物、

身を乗り出し右手を広げて、人質解放を説く高田家嘉平。

聞き入るロシア軍艦・ディアナの副艦長リコルド。

ゴローニン事件を再現したブロンズ像がロシアから届けられ、

日露両国の文字で"外交の基本"とも言える言葉が刻まれていた。

 

日韓の和解

憎しみの過去から和解へ

「新しい教科書を作る会」が問題になっているが、そこで問われた過去の歴史認識を、

アジアの人々と共有しようと「歴史教育アジアネットワークJAPAN」が発足した。

 

池明観氏の講演

「従軍慰安婦問題などを中心に原爆や南京事件の事実をそのまま記述することによって、

歴史を悲しみや恨みの領域にとどめておくのではなく、嘆きに変換しなければならない」

と提言、そのときはじめて和解が成立し、アジアの歴史を共有することができるという。

 

 

 障害者と共に50年 

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    知的障害者授産 人見君子さん 

「心の宝石」

 

あおい苑を心の宝石と呼んだ人がいる。

欲がなく、ねたみも怨みもない。

この子たちから多くを学んだ。

子のこらと一緒に生きよう、笑顔を見ていたいから。

 

昭和23年、特別学級が生まれた。障害児教育の重要性を考えて、

当時24歳の人見君子先生は志願した。

自宅を改造して、昭和60年にあおい共同作業苑を開いた。

 

 

愛それは行動です 止揚学園 福井達雨さん

  

愛それは言葉でなく 汗をながすこと

愛それは言葉でなく 捧げあうこと

すべての喜びを ともに分け合い

悲しみ 苦しみを ともに歩むこと

愛それは言葉でなく 永久ににつづくもの 

愛それは言葉でなく 信じあうこと

 

知能に障害をもっている仲間たちと歩んで

「人間やから、欠点や弱点をいっぱい持っているけど

僕の持ってへん優しい心をもっているんやなあ」

と感じることがよくありました。

現代は見ない心が優しくても、見えるものに弱さを持っていると、

切り捨てられ、無視されることの多い時代です。

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 原千畝の決断

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当時、5才になる息子が門前に立っているユダヤ人を見て「パパがあの人たちを助けてあげるの?」と聞くと幸子夫入は「そうですよ」と答えた。

 

2次世界大戦中、ナチスドイツは人種差別化政策を推し進め、虐殺されたユダヤ人は420万を越 えたという。

その時、杉原千畝はポーランドとソ達に挟まれたリトアニア領事館で日本外交官として服務していた。

その時すでに、ドイツはポー一ランドに侵攻しており、ソ連もリトアニアに進駐し事実上占領していた。

そしてソ連は期限付きで目本領事館を閉鎖し退去するよう日本に通告して来た。

 

このような緊迫の中、ドイツ支配地域から逃れて来た多くのユダヤ人がシベリア鉄道・日本経由で

海外脱出に必要な「通過ビザ」の発給を求めて日本領事館に殺到した。

しかし、日本国政府は、必要な書類を所持している者にしか「通過ビザ」を発給してはならないと通達してきた。

でも大半のユダヤ人はそれらの書類を持っていなかった。

その上、ドイツの秘密警察の目が光っている中で杉原千畝は進退極まった。

 

当時、5才になる息子が門前に立っているユダヤ人を見て「パパがあの人たちを助けてあげるの?」と聞くと

幸子夫入は「そうですよ」と答えた。

杉原千畝は「ユダヤ人を逃がしたら家族全部がドイツの秘密警察に逮捕されるおそれがあるが・・・・・」

と幸子夫人に意見を求めると「私たちはどうなるかわかりませんがそうしてあげてください」

との言葉に杉原千畝はついに決断した。

そして彼は2139枚の「通過ビザ」を発給し6千人のユダヤ人を脱出させた。

 

今、このユダヤ人の子孫が全世界に3万2千人存在しているという。

杉原千畝は晩年「私のした事は外交官として問違っていたかも知れない。

しかし、私は頼ってきた何千人もの人を見殺しにすることは出来なかった。

大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」と語ったそうである。

 

 

 

 宮沢賢治 

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森と人間

「ここに畑起こしてもいいかあ」

「いいぞお」森が一斉に答えました。

「すこし木貰ってもいいかあ」

「ようし」森は一斉に答えました。

 

平らにする

水は、平らな所でさえなかったら、

いつまでもいつまでも流れるのだ。

蟻の目

「あの花は真っ黒だよ」

「いいえ、黒く見える時もあります。

けれどもまるで燃えあがって真っ赤な時もあります、

お日様の光の降る時なら、

誰にだって真っ赤に見えるだろうと思います」

 

雲と風

わが雲に関心し、風に関心あるは、

ただに観念の故のみにあらず、

そは新たなる人への力、

はたしなき力の源となればなり

虹のことば

「いいえ私はどこえも行きません。

いつでもあなたのことを考えています。

すべてまことの光の中に、いっしょに住む人は、

いつでもいっしょに行くのです。

いつまでも滅びると言うことはありません」

 

食われる魚への思い

もし私が魚で、私も食われ、私の父も食われ、

私の母も食われ、私の妹も食われているとすると。

孤独への想い

ああほんとうに、どこまでもどこまでも

僕といっしょに行く人はないだろうか。

 

本当の幸いに至る道

本当の幸いに至るために、峠の上りも下りも、

いろいろの悲しみもみんなおぼしめしです

 

万象流転への想い

ともかく私どもは若くて、

絶えず変じ、絶えず新たに、層より層、

変てこな偶像を、自分で壊しては進み、

創って誤ったことに気が付いた時は、

立派に焼き捨て、勇ましく愉快に進みましょう。

 

永久の未完成

永久の未完成これ完成である

働く教え子への想い

これからの本当の勉強はねえ

テニスをしながら商売の先生から

義理で教わることでないんだ

君のようにさ、吹雪やわずかの仕事のひまで

泣きながらからだに刻んで行く勉強が

まもなくぐんぐん強い芽を噴いて

どこまで伸びるかわからない

それが これからの新しい学問のはじまりなんだ

 

トシの行方を求めて

あいつはこんな寂しい停車場を

たった一人で通って行ったろうか

どこへ行くとも分からないその方向を

どの種類の世界へ入るともしれないその道を

たった一人で寂しく歩いて行ったろうか。

本当の幸いをさがす想い

 

また僕たち二人きりになったねえ

僕はもうあのさそりのように

ほんとうにみんなの幸いならば

僕のからだなんか

百ぺん灼いてもかまわない

 

愛への想い

私は一人一人について特別な愛というようなものは

持ちませんし持ちたくもありません

そういう愛をもつものは、結局自分の子供だけが

大切というあたりまえのことになりますから。

 

 

デクノボーへの想い

雨にもまけず

嵐にもまけず

雪にも夏の暑さにもまけず

丈夫なからだをもち

欲はなく

決死て怒らず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを

自分を勘定に入れず

よく見聞きし分かり

そして忘れず

野原の松の林の蔭の

小さな萱葺きの小屋にいて

東に病気の子供あれば

行って看病してやり

西につかれた母あれば

行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば

行って恐がらなくてもいいと云い

北に喧嘩や訴訟があれば

つまらないからやめろと云い

日照りの時は涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼうと呼ばれ

ほめられもせず

苦にもされず

そういう者に

私はなりたい

トシの死後の感官

感ずることのあまり新鮮にすぎるとき

それを概念化することは

きちがいにならないための

生物体の一つの自衛作用だけれども

いつまでも守ってばかりいてはいけない

本当にあいつは、ここの感覚を失ったのち

新たにどんなからだを得、

どんな感覚を感じただろう

なんべんこれを考えたことか

 

 

 

 わたしの出会った子どもたち

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新潮社 灰谷健次郎

 

僕は沖縄から、子供たちから、命が生きるとと云う意味を教えられた。

ひとつの命が成り立つためには、他の無数の命がそれを支えているのだと云うこと。

我いのちもまた、他の命を支えているのだと云う思想が

人間の誠実さを生み、優しさをつくるのではないかとを教えられた。

 

僕はこどもに教えたのではない。あなたたち一人一人から、私は学んだ。

人生の生きる意味を、そして、絶望から希望への道を。

 

教えるということ

 

「一生懸命に勉強しようとしている子供と、いたずらをしてやろうとしている子供と、対し方を使い分けるような器用さが無い」

こういう言葉に、僕は目をむいてしまう。

林竹二先生は次のようにも言うのである。

「わたしの授業の展開は、あなた任せで、ほとんど子供が引っ張っていくわけです。自分の思いどうりに進行したした授業はつまらない。子供から思いがけないものが出てきて、こっちが面食らってなんとか筋道を探り当てて展開していくような授業が本当はいい授業なわけです。そういう時に、まごまごする能力が教師に必要なのです。格好をつけようとすると無理して強引に自分の答えられるところに問題を持っていってしまったりする。そういうことが授業をひどく貧しくする」

 

チューインガム一つ   三年 村井安子

 

先生おこらんといて、先生おこらんとってね

わたし ものすごくわるいことした

 

わたし おみせやさんのチューインガムとってん

一年生の子とふたりで、チューインガムとってしもてん

すぐ、みつかってしもてん

きっと、かみさんが おばさんにしらせたんや

わたし、ものもいわれへん からだが おもちゃみたいにガタガタふるえるねん

 

わたしが一年生の子に「とり」いうてん

一年生の子が「あんたもとり」いうたけど

わたしはみつかったらいややから いややいうた

 

一年生の子がとった でも わたしがわるい

そのこの百倍も千倍もわるい わるい わるい わるい わたしがわるい

 

おかあちゃんにみつからへんとおもとったのに やっぱり すぐみつかった

あんなこわいおかあちゃんのかお見たことない

あんなかなしそうなおかあちゃんのかお見たことない

しぬくらいたたかれて「こんな子 うちに子とちがう 出ていき」

おかあちゃんはなきながら そないいうねん

 

わたしひとりで出ていってん

いつでもいくこうえんにいったら よその国へいったみたいなきがした

どこえいってしまお とおもた

でもなんぼあるいても どこへもいくところあらへん

なんぼかんがえても あしばっかりふるえて なんにもかんがえられへん

おそうにうちへかえって さかなみたいにおかあちゃんにあやまってん

けど おかあちゃんは わたしのかおを見て ないてばかりいる

わたしは どうして あんなわるいことしてんやろ

 

もう二日もたっているのに

おかあちゃんは まださみしそうにないている

せんせいどないっしよう

 

 

ぼくの足   2年 たかはし さとる

 

ぼくはようちえんのとき トラックにひかれた

ひかれたとき ちがばさっとでた

おかあちゃんが「おおきなこえでないたら おまわりさんにつれていかれる」

とゆうたから しんぼうした そいで きゅうきゅうしゃにのせられて

みやじびょういんに つれていかれた

 

ぼく病院にいたころ、晩になると、死ぬのを思い出して、泣きそうになんねん。

ぼく死ぬのんだいきらいやから、いつもとうちゃんに

「死んだら、また生きかえるの」ときいてんで。

ほんなら、うるさいから、ほんとうのこと云わへん。生きかえる、云うだけや。

かあちゃんにきいたら、「生きかえらへんで」と云うた。

とうちゃんが云うたといったら、かあちゃんは

「うそや、さとぼうがうるさいから、いきかえるんやと、うそついとうねんや」と云うた。

 

あべこべの国

 

ここがあべこべの国やったらおもしろいぞ

金もちがびんぼうで

一円もないのがおおがねもちや

どろぼうがきたら「手をあげ」じゃなくて

「足をあげろ」というから どしんとしりもちをつく

そしてどろぼうが金くれんねん

 

 

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